2015.11.20
森鴎外初め、芥川龍之介、谷崎潤一郎、川端康成等そうそうたる作家の方々の作品を浅田次郎が「心に残る物語」として選んだ13編からなる短編集。
傑作揃いですが、私は「山月記」「補陀落渡海記」が特に気になる作品でした。
中島敦作「山月記」は高校の教科書にもたびたび掲載される漢文調で書かれた中国が舞台の作品。博識があるが、片意地をはり人との交わりを拒む性格から役人の世界で出世が覚束なく詩人になった李徴は、文名がなかなかあげられず再び役人生活にもどるが、かつての元同僚達は高位につき、彼らの指示に従わなければならず自尊心の強い彼は、もんもんとした日々を過ごし、ついに旅の途中発狂し虎に姿を変えた。一年後少ない友人の一人が任地へ赴く山中で虎に出会い、それが李徴であり心情を吐露されたのであった。
井上靖作「「補陀落渡海記」は僧侶が和歌山県にある補陀落寺から南方にあるとされる浄土(補陀落山と呼ばれる)へ小舟に乗って目指すという補陀落信仰に基づいた話。渡海するということは海上での死を意味し、息絶えると同時に補陀落山に船とともに流れ着き、そこで新しい命を得て、永遠に観音に奉仕することになると考えられていた。
主人公の金光坊は渡海する、しないと深く考えていなかったが三代続いて61歳で渡海していたため、彼も61歳になると世間から当然のように「いつなのか?」「役に立ちたいからなんなりと申し付けてくれ」と言われ、また、巷に足を一歩踏み出せば足元にはお賽銭が降り注いだりなど「行かぬ」とは言えない状態になった。そもそもこの寺の住職が渡海しなければならないという掟は初めからなかったのだが後に引くことが出来ない状態に追いこまれていった。11月のある日ついにその日はやってきた。渡海の儀式を済ませ、金光坊が乗り込むと上から木箱がすっぽりとかぶせられた。経典類、小さな仏像、衣類、食糧なども入れられ、箱が船にしっかりと釘で打ち付けられると鉦や読経の声に見送られ出発した。しばらく進むと同行する船から艫綱を切ると伝えられ、とうとう一人荒れ模様の海に取り残された。はたしてその後どうなったか?興味のある方は読んでみて下さい。
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