今日の見聞録


6日目

 23日旅行の最終日でしたが、24日には友人2人は帰国するので鳴門の渦潮と淡路島にある「奇跡の星の植物館」を見学し、早めに大阪に戻ることにしました。

 鳴門海峡の渦潮は潮の干満によりみられる自然現象でその渦は大きいものでは直径20mにもなるそうです。

 「渦の道」は海上45mにあり、ガラス越しに渦潮をみる施設、エスカヒルは全長68mのエスカレーターの先にある展望台から鳴門海峡全体を見渡すことができます。

 残念ながら渦の巻いた様子を今回は見ることができませんでした。

 風の強い日で寒さが身に沁みました。 

 その後、大鳴門橋を渡り淡路島にはいりました。

 「奇跡の星の植物館」という巨大な温室があり、蘭をはじめ世界の珍しい植物がみられます。

 12月も近いこともあり、白を基調としたクリスマスバージョンでポインセチアやツリーの飾りつけがされておりました。

 カフェで淡路島バーガーとたこ飯のランチ休憩の後、帰途に着きました。

5日目

 22日の宿泊地は丸亀でした。

 途中、タオルで有名な今治市を通るのでタオル美術館に立ち寄りました。

 今治特産の多くの種類のタオルはもちろんのこと四国地方の土産物も購入でき、レストランやカフェもある5階建てのお城のような大きな建物でした。

 雨がやみそうもなく降り続いていました。

 次の目的地は「こんぴらさん」の愛称でおなじみの「金刀比羅宮」でしたが、傘を差しながらの参拝はちょっと気が重かったのを覚えています。

 表参道から御本宮までの石段が785段あり濡れて滑りそうなのと体力もないのでとりあえず大門のある365段をめざしました。

 大門までは土産物店が両側に軒を連ねていて店を覗きながら歩を進めました。

 そこでもう少し頑張ろうということになり、500段登ったところにあるカフェレストランで休憩し引き返すことになりました。

 500段の手前に表書院と言われる重厚な建物があったので、御朱印をお願いしたところ記帳してくださいました。

 休憩をとったカフェレストラン「神椿」は神社の中にあるとは思えないおしゃれな建物でした。

 外は徐々に暗くなり、土産物店もすでにシャッターを閉め始め、身体もすっかり冷えてしまったのでホテルに急ぎました。

4日目の夜

 日本最古の温泉のひとつと言われ昔から皇室の方々を始め、多くの文人にも愛された道後温泉は道後温泉本館を中心に旅館、ホテル」が点在し、また、土産物店やカフェ、食事処等が数多く集まった人気の観光地です。

 ホテルにチェックイン後、道後温泉本館に向かいました。

 入浴は4つのコースに分かれていて値段の違いで浴衣やタオルが借りられたり、茶菓の接待があったりします。

 また、見学のみも出来ました。皇室の方が来館されたときに使用される風呂や休憩室、天皇陛下のための玉座や夏目漱石にちなんだ「坊ちゃんの間」などをスタッフの方が手際よく案内してくれます。

 「千と千尋の神隠し」の舞台としては台北の東にある九份が有名ですが、この本館にもスタジオジブリのスタッフが訪れていたそうです。建物の中は迷路のようにちょっと複雑な造りになっており、レトロ感満載でした。

 「道後ハイカラ通り」を散策した後夕食は鯛めしにしました。

 「鯛めし」はご飯の上に刺身をのせてから卵黄入りのたれをかける宇和島鯛めしと鯛の炊き込みご飯の二種類があり、宇和島鯛めしは夫が、私達3人は炊き込みご飯をいただきました。

 上品な味でしたが、ボリュームは少なめでした。

4日目

  次にお城から歩いて15分ほどにある「坂の上の雲ミュージアム」に行きました。

 司馬遼太郎が産経新聞に連載した「坂の上の雲」にちなんだ博物館は、松山市がまちづくりの中核施設として建てたもので設計は安藤忠雄です。

 私は数年前に文庫本で読んでいたので機会があったら行きたいと思っていました。

 この小説は明治という時代を背景に松山出身で軍人となった秋山好古、真之兄弟と俳句や短歌で名を成した正岡子規の三人を中心に据えて書かれた作品です。

 三角形の建物はスロープを昇りながら回遊式に各階展示室につながり、明治時代に関する資料や秋山兄弟や正岡子規の写真、書、書籍、新聞に掲載された「坂の上の雲」の膨大なコピー等があり見ごたえ十分でした。

 大街道沿いのカフェでランチ後、今晩の宿がある道後温泉に向かいました。

4日目

 中一日をおいて20日から同じメンバーで四国に出掛けました。

松山城の天守閣

 一人運転の旅なので今回は片道カーフェリーを利用しました。20日の夜22時発のオレンジフェリーで大阪南港から愛媛の東予港まで8時間の船旅でした。

フェーリーから見上げる明石海峡大橋

 二段ベッドが二台に三畳程度の休憩スペースのある部屋で思ったほど狭くはなかったのですが、エンジン音が結構響いてゆっくり眠ることができませんでした。21日の早朝6時に到着したので港近くのファミリーレストランで朝食後松山をめざしました。

 今日の宿泊地は道後温泉ですが、まず初めにロープウェーに乗りそこから徒歩10分の松山城を見学しました。

 このお城は現存する12の天守閣のうちの一つだそうで松江城同様に狭く急な階段を登った最上階からは松山の街の全貌がよく見えました。

 愛媛県はみかんの産地なので土産物店には蛇口をひねるとみかんジュースが出てくる販売機がおいてありました。

3日目

 18日朝から雨の生憎の天気でしたが、まずホテルから車で30分ほどの距離にある城崎温泉に行くことにしました。

地蔵湯と駅前通り


 城崎温泉駅そばの駐車場から温泉街に向かって進むと解禁になったばかりの生蟹や茹で蟹を始め多くの海産物を扱う店や土産物、民芸品店、カフェや食堂など次々と現れてなかなか先に進みません。

 雨にもかかわらず観光客が通りに溢れていました。

 城崎温泉は7つの外湯巡りで有名です。大谿 (おおたに)川に沿って植えられた柳が風になびき、温泉街をしっとりと情緒あるものにしていました。

一の湯と王橋


 先へ進むとロープウェーもあるそうですが、そこまでは行かずに引き返し、次に日本三景の一つ「天橋立」に向かいました。

 海に長く伸びた砂州は南北どちらからも望むことできますが、今回は北側にあるケーブルカーで傘松公園まで上り、「股覗き」をしました。

 広げた足の間から海を覗くと砂州が天に掛かる橋に見えるというので大勢の観光客が両足を広げ、確かめていました。

 周辺の山々の紅葉も雨にもかかわらず美しく鮮やかでした。

2日目、午後

  その後、安来市にある足立美術館をめざしました。

 この美術館では手入れの行き届いた素晴らしい日本庭園と、横山大観を始めとする文化勲章を受賞した画家や北大路魯山人や河井寛次郎の陶芸作品など美の結集した数々の展示物に圧倒されました。

 庭園はどこを切り取っても絵葉書になりそうな「完璧」を思わせる美しさで、展示されていた写真では春夏秋冬それぞれの異なった趣があり、同行した友人二人も盛んにシャッターを切っていました。

 庭園の素晴らしさはテレビを始め訪れたことのある知人などからも聞いていたのですが、私が「びっくり」したのは、魯山人の「椿鉢」と名付けられた作品でした。何度か写真やガイドブックでみていたのですが、想像をはるかに超える大きさにしばらく見入ってしまいました。

 見所満載で思いの外時間をとってしまい鳥取県に入ったころには小雨に加え外は真っ暗で視界も悪くなったので砂丘見物は断念して豊岡のホテルに向かいました。

2日目、午前

 11月17日早朝ホテルを出発し、昨日ちょっと立ち寄った松江の街に戻りました。

 今日は宿泊が兵庫県の豊岡で松江からは離れているうえ、松江城の堀川めぐりと城の見学、庭園世界一に輝く足立美術館、鳥取砂丘とスケジュールが詰まっているので早速堀川めぐりからはじめました。

 船は屋根の付いた小型船で15分間隔で運航しており、50分かけて船頭さんの案内と歌で堀をゆっくりと進んで行きます。

 11月も中旬だったので、こたつ船になっており4か所の低い橋のところでは船の可動式の屋根が下がり乗客も一斉に身体を小さく縮めて通ります。

 のんびりと堀を巡ったあとは松江城にのぼりました。

 全国に五つある国宝に指定された天守閣の一つで、狭くて角度の急な階段を上っていくと、刀剣や鎧兜などが多く展示され、鎧や兜を体験するコーナーもあり、また最上階からは松江の街の佇まいを360度見渡すことが出来ました。

 「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」という故事がありますが、今回文字通りシンガポールとオーストラリアから長年の友人が来日したので、二度にわたり旅をしてきました。

 二人とも日本が大好きでツアーや個人旅行で何度も来ていますが、今回の目的地、島根、鳥取と愛媛は私達夫婦も含め今まで行く機会がなかったので数か月前から計画をたて、リーズナブルで楽しい旅をしてきました。

シンガポールからのお土産はブンガワンソロのクッキーでした 

・1日目

  11月16日は中国自動車道を西に進み、まず松江でシンガポールのHさんの知り合いのご夫妻にお目にかかったのち、今夜の宿泊地でもある出雲へ向かいました。宍道湖を左に見、その大きさを感じながらのんびりとドライブを楽しみました。

 縁結びの神様で有名な出雲大社を参拝し私は初めて御朱印帳に記帳していただきました。

 掃き清められた境内は空気の張りつめたような静寂さや荘厳さはあまり感じられませんでしたが、巨大な大しめ縄は圧巻でした。

参拝の後で頂いた紅白餅の善哉

  


2017.6.6

 30年近く関西に住んでいますが、まだまだ行ったことがない場所がたくさんあります。ここもその一つでした。

 石切さんと親しみを込めて呼ばれていますが正式名は「石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)」で古代、天皇の側近だった物部氏一族の木積氏が祭祀をつかさどっていたようです。

 境内は整然としていて掃き清められ、平日でしたが中高年の男女が大勢訪れておりました。

 神社の前から石切駅へと続く参道は飲食店や漢方薬、菓子、漬物、婦人服、バッグ等小物類、乾物類などを販売する店が軒を並べ見て歩くだけでも楽しい商店街になっていました。

2017.5.15

 早くも一年の三分の一が過ぎ今日は5月も中旬になりました。なんとなく毎日を過ごしていても時は過ぎていきます。1,2,3月はあっという間に過ぎ4月初旬にはハワイに行ってきました。

 私は実に20数年ぶり2回目のハワイでした。同行した親戚はハワイ通の人達でしたのでまるっきりお任せの旅でしたが、ショッピングとリゾート感満載のホテルライフを楽しんできました。

 連休あけに昔の職場の同僚から甘夏ミカンが送られてきました。親戚の山から彼女が自ら収穫して採りたてを送ってくれるので、みずみずしくて実の詰まった食べごたえのある甘夏で感謝しながら毎食後食べています。

 先週高校時代の友人から京都旅行に来ているので会えませんかとの連絡を頂き、実に数十年ぶりに大阪で会いました。年賀状のやり取りはしていたものの成人してからまったく会う機会がなく、お互いに変貌していて待ち合わせ場所で見つけるのが大変なのではと懸念していたのですが、昔の面影はしっかり残っていたのですぐにわかりました。積りに積もった話はとても2,3時間では足りなかったものの久しぶりの再会は自転車で転倒してこのところ気持ちが沈んでいた私を元気づけてくれました。

2016.10.3~4

 4日目、友人との久しぶりの再会もこの日が最終日でした。USJに行きたいと言っていた彼女と「今度は大阪へ遊びに来てね」とまたの再会を約束しつつ、次の目的地、岐阜県高山市に向かいました。

 上田から松本を経て飛騨高山までの道は数々のトンネルと急カーブ、片側一車線ずつの山に沿って進む狭い道で一歩間違えれば谷底かダム湖に落ちそうでおまけに雨もかなり降っており、運転者も同乗者も緊張するドライブコースでした。

 高山はゆったりとした時間が流れるような静かな街でした。

 昼食に食べた飛騨牛のレストランの朴葉焼き定食は肉も柔らかく朴葉の上にのせた味噌にからめて食べ美味しかったのですが、カルビ焼き定食は値段のわりにしては肉が固くて、また接客がよくありませんでした。

 雨も小降りになり、秋の高山祭で引き廻される11台の屋台のうち4台ずつ交代で展示されている高山祭屋台会館に向かいました。

 館内は美しく煌びやかに飾られた屋台とお供の人形が整然と並べられ、光輝いていました。10月9日、10日の秋祭りには11台の屋台が出揃い、大勢の観客の目を楽しませてくれることでしょう。

 次に屋台会館とは正反対にある高山陣屋を目指しました。

途中には上一之町、下一之町から上二之町、下二之町、上三之町、下三之町と名のついた古い町並みがあり、

土産物店をはじめ味噌店、醬油店、酒造会社などが軒を連ね、タイムスリップしたような趣があり、コンビニも街に溶け込むようにデザインされていました。

 

 高山陣屋は徳川幕府が飛騨を直轄領として以来177年にわたり25代の代官、郡代が江戸から派遣されて政務をつかさどった場所です。

 役所、郡代役宅、御蔵などがある思いの外広大な建物でした。

 最終日は毎日朝7時から開かれる宮川朝市と陣屋前朝市を見学してから帰途に着きました。