2016.1.3
失火により故郷の家と共に父を失い、19歳にして参勤道中御供頭という家督を相続した小野寺一路。文武共に優れた秀才であったが、江戸育ちで父から御供頭という役目について何一つ教えを受けておらず、突然のことにとまどうばかりであった。失火というのは大罪であるため、この家督相続も仮のもので無事に参勤道中を済ませなければ家名断絶という極めて困難な状況に追い込まれた一路であったが、実家の焼け跡から見つかった文箱の中から出てきた遥かかなたの先祖が書き記した参勤道中心得とも言える「行軍録」は大変参考になった。一路はこれを手本に御殿様蒔坂左京大夫様とともに50名の行列は師走の3日に江戸に向けて発駕したのであった。冬の中山道を行く一行には次から次と難題が降りかかるが、そのたびに知恵、運、他藩の助けなどによりその難題も克服していった。
主人公は一路ではあるが、私がこの小説で一番魅力を感じたのは御殿様蒔坂左京大夫だった。家来はもちろん他藩の武士たちにも「うつけ」すなわち馬鹿者だと思われている御殿様は江戸城内で頻繁に接する他藩の大名にはその英邁さはとうに知られており、この道中でもその賢さをしばしば露呈されるのであった。そもそも気候がよい季節に行われることが多い参勤道中がなぜ寒さ厳しい冬に行われたのか?大名ではなく旗本の蒔坂家が何故参勤道中を行ったのか?御殿様はどうして「うつけ」と思われる振る舞いをしたのか?など興味深いとともに上に立つ人としての心構えや心情も知ることが出来た。
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