猫と漱石と悪妻       植松三十里

 今年は夏目漱石没後100年にあたり、展覧会の開催や書物が出版されています。本作品は悪妻として有名な境子夫人との馴れ初めや「吾輩は猫である」を書き始めたきっかけとなった猫のこと、普段は子煩悩で朝食のパンにジャムをたっぷりつけて子供たちと笑いあって食べていた漱石が、ロンドン留学から帰国後、些細なことから突然癇癪を起し子供を泣かせたり、庭に投げだしたりと豹変し、妻子が恐怖におののく日々などが描かれています。帰宅後は自室でこもり勉強に勤しむ漱石でしたが、日光の華厳の滝から身を投げた学生が教え子で、自殺の少し前に叱ったことがあったのでそのことではかなり気に病んでいた様子でその後も夜中に意味のなく癇癪を起こし、暴れまわりその行動は目に余るものがあったようです。

 お嬢様育ちの境子夫人は朝寝坊ではありましたが、次々に生まれる子供たちの育児や家庭内のことはお手伝いさんの手を借りながらすべて行わなければならず忙しい日々でした。しかし暴力は相変わらず続き、あまりのことに「あなたは人殺しよ。」と叫んだ境子夫人の言葉に「離縁だ。この家から出ていけ。」と漱石は反応し、二人は離縁することになりました。しばらくして子供たちの父を慕う気持ちと自分さえ我慢すればいいと思いなおした夫人は詫びを入れ再び家族は一緒に暮らし始めました。

 幼くして里子に出され、ロンドンの生活での人種差別や孤独感が起因となって自分の気持ちを制御できずに家族への暴力がうみ出されていったようです。東京帝大の教師生活をやめ新聞社勤務しながら小説を書くようになり次々にヒット作を生み出していきましたが、ついに50歳を前に胃潰瘍のために亡くなりました。以前読んだ書物で漱石は筆まめだったので弟子や彼を慕って集まる人々に手紙をよく書き、借金を申し込んだ人には気前よく貸したなどと読んだことがあり、あの有名な肖像画から穏やかな人との思いが強くかったのですが、思いを新たにしました。新婚当時の熊本での生活や長女に「筆子」と名付けた理由等エピソード満載で興味深い本でした。

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